東洲斎写楽
東洲斎写楽 (toshusai sharaku) 1763頃 - 1820頃 |
東洲斎 写楽(とうしゅうさい しゃらく、とうじゅうさい しゃらく、生没年不詳)とは、江戸時代中期の浮世絵師。約10か月の短い期間に役者絵その他の作品を版行したのち、忽然と画業を絶って姿を消した謎の絵師として知られる。その出自や経歴については様々な研究がなされてきたが、現在では阿波徳島藩主蜂須賀家お抱えの能役者斎藤十郎兵衛(さいとう じゅうろべえ、宝暦13年〈1763年〉 - 文政3年〈1820年〉)とする説が有力となっている。 |
三世大谷鬼次の奴江戸兵衛
中山富三郎の宮城野
二世沢村淀五郎の川つら法眼と坂東善次の鬼佐渡坊
三世市川門之助の伊達の与作
二世小佐川常世の竹村定之進妻桜木
市川男女蔵の奴一平
谷村虎蔵の鷲塚八平次
坂東善次の鷲塚官太夫妻小笹と岩井喜代太郎の鷺坂左内妻藤波
四世岩井半四郎の乳人重の井
中島和田右衛門のぼうだら長左衛門と中村此蔵の船宿かな川やの権
八世森田勘弥の駕篭舁鴬の治郎作
尾上松助の松下造酒之進
四世松本幸四郎の山谷の肴屋五郎兵衛
三世市川高麗蔵の志賀大七
松本米三郎のけはい坂少将実はしのぶ
嵐竜蔵の金貸石部金吉
二世瀬川富三郎の大岸蔵人妻やどり木と中村万世の腰元若草
二世瀬川富三郎の大岸蔵人妻やどり木
大谷徳次の奴袖助
市川富右衛門の蟹坂藤馬と三世佐野川市松の祇園町の白人おなよ
二世坂東三津五郎の石井源蔵
三世市川八百蔵の田辺文蔵
三世坂田半五郎の藤川水右衛門
三世瀬川菊之丞の田辺文蔵妻おしづ
三世沢村宗十郎の大岸蔵人
三世佐野川市松の祇園町の白人おなよ
三世坂東彦三郎の鷺坂左内
市川鰕蔵の竹村定之進